こんにちは。美聖(みしょう)です
旦那が癌で亡くなった時、4才だった娘も
今年の春、保育園を無事卒園し
今度からは小学生となる。
ドタバタながら、初学童もクリアして
いよいよ小学校の入学式
私は今、48才だから
自分が小学一年生の時って
ぬぁんと41年前
そりゃ全く覚えていません。
入学式はランドセルで登校するようにと
学校から言われていた。
「へ~~
授業も無いのにランドセルで行くんか~」なんて
何もかも初めて尽くしだった。
当日、登校したら
廊下にクラス分けの紙が貼りだされていた。
娘と同じクラスに
保育園で一緒だったお友達の名前がある。
ホッとした
それから教室に行って
子供だけ置いて、親は体育館に。
新入生が登場するまで父兄と
2~6年生は体育館で椅子に着席して待っていた。
そして、各クラスの担任の先生に引率されて
新入生 入場
花道のように真ん中に通路が作られて
そこを新入生が通っていくんだけど
大人が椅子に着席してる高さより
歩いて行く新入生のほうが小っちゃくて
姿が見えない
こんな小っちゃいのに、もう小学生なんだな~~
なんて感慨にふけっていると
新入生が着席してから
校長先生が壇上に上がられて
「新入生の皆さん、おめでとうございます。」と言われた後に
甲高い大きな声で新入生たちが
「ありがとうございます」と言った。
この一言でまたしても私、ウルウル
そして式次第に則って
ちゃんとお返事したり、起立したりしてる。
美聖さん。
誰も泣いて無い中
感極まって号泣(笑)
なんというか・・・。
入学式までこぎつけたら
後はなんとかなるだろうっていう安堵の気持ちで・・・。
他人に言ったら笑われるかと思って
誰にも言えなかったけど
娘は公立の小学校に通うことになっていた。
自分が子供を持つまで
小学校に通う年令になったら
勝手に行政が全部手配してくれるくらいに思っていた。
・・・んな アホな
ですよね。
だから、子供ができてから
育児書やらなんやら読んだりしてると
あら~~
親が手配しないと子供って小学校に行けないのって
ビックリしたのです。
そう思っていた、娘がまだ保育園に通っていた頃
ニュースで親が
子供を小学校に入れる年だって忘れてたとか
貧乏で給食代が払えないから
学校に行かせていない親がいるとかっていうことをしてて
私の中で子供を小学校に入れるという事が
一気にハードル高くなったのです。
特に旦那に末期ガンの宣告を受けてからは
ものすごいプレッシャーだった。
私一人でこれから娘を育てて
成長を見守らないといけない。
一人で抜けとか無いだろうか・・・。
私一人の収入で
娘に恥をかかせるようなお金の無い家庭に
してしまわないだろうか。
毎日、そんなことばかり入学式の日まで
考えていたような気がします。
入学式に真新しいお洋服を着て
ピカピカのランドセルや文房具も全部揃えられて
まさにピッカピカの一年生の娘にさせてあげることができた
その娘がちゃんと
長い入学式の間もおりこうさんでいれるように
成長してくれてる。
旦那~
私、ここまでガンバッたで~~
旦那がいなくなってからも
私一人でガンバッたんだから~~~って
思ったら泣けて泣けて止まらなくなっちゃった(笑)
はたと周りを見渡しても
泣いてるのは私だけ(笑)
考えてみたら今年に入ってから
娘のイベントがあるごとに泣きまくってんな~~私
全部、うれし涙だから
こんな、ありがたいことはないんだけど
なんだか、ホンマに旦那が亡くなってからの日々で
ひとつの区切りをつけられたような気がして
心底ホッとした春の日なのでした
★旦那とのガン闘病記の目次を作りました
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