こんにちは。美聖(みしょう)です
2年半の闘病生活の末、ガンで亡くなった旦那の新盆も終わり
またまた通常の生活に戻った美聖一家。
バタバタと日々が過ぎて行き
気が付けば娘の5才のお誕生日がもうすぐ!という頃になって
私は毎日、心臓バクバクしてました。
なぜか
それは初めて、娘の誕生日を私一人でお祝いするからです
何言うてんねんとお思いでしょうか・・・。
前年の娘の誕生日の頃の旦那は
絶賛闘病中ではあったけど
まだまだ一人でお出かけしたりもできるくらい
元気だった。
旦那は娘のことを
「ホンマに目に入れても痛くないんやろ~な~」と思うくらい
溺愛してたから
娘の誕生日の手配は
ずぇ~~~んぶ旦那がバッチリしてくれていた。
私がすることって言ったら、ごちそう(娘にとってのね)を作ることくらい。
プレゼントも買い揃え
バースデーケーキの予約も
地域で一番おいしいというケーキ屋さんに予約して
万全の体制を整えてくれていた(笑)
(さすがに前年は旦那がケーキが好きなのに食べられなかったから
ちっちゃい娘も喜んで旦那にとっても目の毒にならない
ちっちゃいドーナツをケーキ代わりにしたけども)
それがこの年から私が一人で全てしなきゃいけない
親ばか全開で申し訳ないけど
ウチの娘は年令に比べて記憶力がバツグンに良い子で
かなり細かいこととか、かなり前のこととか
けっこう覚えてる
前の年の誕生日、覚えてるわな・・・確実に
「え~前はこんなんじゃなかった~~」
なんて言われた日にゃ~~・・・ ア~タってモンです。
前日の緊張感なんてハンパなかった。
「ケーキ忘れてない?」
「プレゼント忘れてない??」って…。
今まで旦那があまりに当たり前にしてくれていたので、
この時まで感謝すらしてなかったな〜…と。
ゴメンね。旦那(笑)
そして、ありがとう。
心からそう思いました。
いざ!当日
ジャ~~ン
はい満面の笑顔~~~
良かったよ~~
お母ちゃん、整えました~~~(笑)
父親がいなくなっても
悲しい素振りも見せず
お仏壇に向かって毎日ニコニコと手を合わせる娘。
これはひとえに
旦那の収骨の時に
お寺の師匠が娘に
「お父さんはもう元気になって、痛くなくなって
神様のお家に行って
これからは娘ちゃんのことをお空の上から見ていてくれるんだよ」と
幼い娘にもわかるように言葉を選びながら
言って下さったおかげだと思っています。
あれから娘は「お父ちゃんはもう痛くないんだよね
神様と一緒にお空の上にいてるから寂しくないね~」ってずっと言ってる。
たぶん私が娘に説明してたら
お父ちゃんがいなくなったことは
辛くて寂しいことって植え付けるようなことを
言ってしまっていたかもしれない。
私が幼い頃のことでも、けっこう記憶に残っていたりするから
娘にとっても父親がいないということが
悲しくて、かわいそうっていう風に記憶を
植え付けることがなくて
本当に今でも感謝しています
その2週間後
娘のお誕生日のお祝い会を
いつもの小料理屋さんでしてくださいました。
(5才のお誕生日会が小料理屋って・・・シブッッ・・・笑 )
あんまりにもうれしすぎて、楽し過ぎて
食べ過ぎてしまい家に帰ってから
ゲボッちゃったけど・・・娘・・・(笑)
翌日、お布団 総とっかえ~の
洗濯ババァと化したけど・・・私・・・
旦那。娘はあなたが言ってくれてたようにたくましく
明るく育ってくれてるよと
空に向かってつぶやく美聖さんなのでした