こんにちは。美聖です
旦那の3回の抗がん剤の投与が終わり
経過も良いとのことで
次は
胃にできた癌を摘出する手術をすることになりました。
お医者様の説明では
胃の2分の1は取るとのこと。
良かったね~これで癌とおさらばだ~~
と夫婦二人で手を取り合って喜んでいました。
幸い、この時点では
他に転移も見つからないとお医者様がおっしゃっていたので
取ってしまえばコッチのもんじゃ~~
と思ってました。
病院から手術の日が決まったら電話をくれるということだったので
その日を今か今かと待ちわびていましたが
電話が来ない・・・
2週間待っても来ない・・・
しびれが切れちゃいまして、
こちらから
「あの~、まだでしょうか~~?」と催促の電話を入れてしまった。
結局、病院のほうで伝達ができていなかったらしく
事務の方に平謝りされて、めでたく手術の日が即決まりました。
癌がわかったのが3月の末で
手術がその年の12月の末・・・っていうか
クリスマスイブイブの12月23日だったのよ~~
メリークリスマスもなんも、あったもんじゃない
この時に初めて、娘がまだ3才で良かったな。と思った。
もうちょっと大きかったら、
たぶんお友達と
「昨夜のクリスマスイブの夜はこんなケーキ食べて~」とか
「こんなごちそう食べて~」
とか、次の日に楽しかったクリスマスイブの話しをするんだろうけど
まだ3才だから、保育園のお友達とも
ほとんど会話が成り立ってないし
お友達の楽しかったって話しを聞いて娘が寂しい思いをすることも
まだないくらい小さくて良かったなって思った。
だって、
12月23日の夜に手術をして
手術が終わり、旦那が目覚めたのが
12月24日のお昼間。
だけど、ほとんど朦朧としてる状態だったから
やっと声をかけて反応があったのが夕方。
ICUから一般病棟に移れたのが12月25日。
この間、私は朝に娘を保育園に預けた足で
病院に向かうも、23日はまだ手術前の時間。
24日は旦那が朦朧としてる時間。
25日は、もう一般病棟に戻っちゃった時間。
夕方には、病院を出て娘を迎えに行かなきゃいけなかったし
保育園から帰ってきたら
ご飯食べさせて、お風呂入れて、寝かしつけて・・・ってしてたら
もう、深夜
そんな時間から寝てる娘を一人で家に置いて
病院に行くわけにも行かず・・・。
我が家はクリスマスパーティするような余裕が全くなかった。
その時間があるんだったら
一人で病気と闘ってる旦那のところに行ってあげたいと思っていたし。
結局、私は何の役にも立たず終いでしたが
その時の病院でのあれこれを、ぜ~~んぶしてくれたのが
なんとあのおっさんなのにヒッキーで
人のことなんか知らんってスタンスを常に貫いていた弟だったんです
ホンマにありがたかったし、心強かった。
私は今まで、なんでも一人で頑張らなきゃ!頑張らなきゃ!!ってしてきたけど
この時、初めて家族を頼ることができました。
あ。ちなみに
以前、旦那が「ウチは美聖ちゃんが頼りなんだからしっかりしてや~」って言うから
「ちょっと待ってじゃあ私はいったい誰を頼ったらいいの」って言ったら
「なに甘えたこと言ってんの。大人やろ」と返された。
アンタは大人やないんかい
って腹立てたことあったな~~・・・(遠い目 笑)
そして、ずっと私がいない時間は旦那に付き添ってくれてた弟が言うには
手術が終わった夜に前妻さんがお見舞い(というか旦那の様子見)に来られてたらしい。
この時点で一回も前妻さんにお会いしたことがない私。
だけど、なんかね~・・・
なんでかわかんないけど
いっぱい、いろんなお話ししたいな~って思ってたんですよね~ずっと。
前妻さんと旦那はお互いのことが大っ嫌いで
もめまくって離婚したそうなんだけど
離婚してからも月に一度は子供と旦那が会う日を作ってくれていて
前妻さんは一緒じゃないけど、一日終わって子供を迎えに来た時とかに
いつも、お互いの近況報告したり少しおしゃべりして別れるらしくて
旦那曰く
別れてからのほうが、すごくお互いイイ関係になったらしい。
そのおしゃべりで私のこととかが話しに出て
旦那がちょっとグチったりしたら
前妻さんが
「それはアナタが悪い美聖ちゃんの気持ちわかるわ」って
いっつも、公平なジャッジの軍配は私に上がるらしい(笑)
・・・っていうか、私のことグチるって・・・こんだけ人を困らせといてどの口が言うねん
実は前妻さん親子の住まいと我が家はおんなじ市内で
車で行けばけっこう近い。
いつかは、会ってお話しすることもあるのかな~なんて
この頃はノンキなことを言っていた美聖さんでした
つづく