ダンナが胃ガンで他界したのが
私が45才の1月でした。
三つ子の魂百までと言うけれど・・・。
その年齢になるまでの人生の送り方で
宿命は変わらなくても
運命は変わると思う。
原因があって結果があるわけで。
たった少しの期間のことだけにフォーカスしたって
「あ~・・・辛かったな~~。」っていう
思い出としてしか残らない。
それじゃあ、お焚き上げにならないわけです
過去をしっかりと
ボ~ボ~燃え盛る炎で燃え上がらせて
昇華しないと
これから先、前に進んでも
たぶん、おんなじ。
人から「大変ね~」って言われるだけの
しんどい人生を歩まなければいけないと思う。
・・・イヤじゃ
ということで
今までの私の歩みから書いていくことにしました。
しばらくの間、ダンナが癌になるところまでお待ちいただきます。
(あ、誰も待ってないか~)
ということで(笑)
私には年子の弟が一人いて
私は長女として生まれました。
(え生まれたところからかい)
母曰く
神のような子だったそうで
全く手がかからないお利口さんだったそうです。
↑ココ。ポイントです。
物ごころつく前から私ってワガママ言わない子(言えない子)だったんだ・・・。
反対に弟は他人とコミュニケーションを取るのが
すごく心の負担になる子で
親にも心を閉ざすような子で
思春期からオッサンになった現在も
ずっと引きこもり。
だけど、母親って男の子は特別な存在みたいで
自らは決して動かない人任せな弟のことを
母は昔から溺愛していました。
そして私には
「お姉ちゃんなんだからガマンしなさい」
「お姉ちゃんなんだからしっかりしなきゃ」
「お姉ちゃんなんだから出来るでしょ」
お姉ちゃんなんだから・・・お姉ちゃんなんだから・・・
今でも私の頭の中にリフレインしますよ
それでも、それが当たり前だと思って
不満にも思わなかったし
私はお母さんが大好きでした。
幼稚園→小学校→中学校と
ずば抜けて賢い子ではなかったけど
いじめることもいじめられることもなく
お友達もそこそこいてて
なんの問題もなく
ゆる~く過ぎていきました。
ところが、中学生の時
いとこのお姉さんが美容院を開店しました。
遊びに行って、私は美容院のお店の中が
ワンダーランドに見えた。
キラキラして見えた。
「美容師になろう」決意しました。
高校なんて行ってる場合じゃない。
中学校を卒業したら美容師にな~ろうっとと
初めて、【目標】と【夢】というものができて
私はワクワクしました。
両親にそれを伝えると
やっぱり大反対
そこで、すんなり夢をあきらめる私。
(今から考えたらアカンやん・・・そこでワガママ言わなきゃ。)
そのかわり、高校を卒業したら
美容学校に行ってもいいという約束を取り付け
またまた、なんの障害もなく
ふつう~~に無事、高校を卒業しました。
そして、美容学校へ。
1年間の寮生活でしたが、これまた
他の子とも広く浅く仲良く過ごし
無事、卒業。
ホントにいい子ちゃんでこれといった辛いこともなく
ここまで生きてきました。
ところが
美容師になってから私の人生激変
ザッパ~~ンと大波が岸壁に打ち付けるイメージのような
波乱万丈の人生に180度変わっちゃったのです。
この時、私は19才。
わはは・・・本厄やがな
なんて、星めぐりに素直なヤツやねん(笑)