こんにちは。美聖(みしょう)です
父が亡くなった18年前のお話しです。
昨日のつづきです
昨日の記事はこちら→ポ~~ンともらった金額は・・・
いきなり大金を渡され呆然としていると
会社の方が
「美聖さん。一つだけお願いしたいのですが
お父様の遺影に使用する写真だけご用意ください」と
会社の人達は今あったことは
何事も無かったかのように社長さんが帰られてから
粛々と準備を始められた。
ハッ・・・
遺影ね・・・遺影・・・
アカン・・・びっくりして
遠い世界に行ってしまってた
そんなことしてる間に親戚の人達も
到着した。
その中に私より2才上の従姉がいてたので
母を教会に残して
従姉と私の二人で父の遺影に使うための
写真を探しに実家に一旦帰ることにした。
従姉とはそんなにしょっちゅう会うことはなかったけど
すんごいアネゴ肌でサバサバしてるけど
メッチャ楽しい人だから私は大好きだった。
そして、実家に2人で到着すると
母が「お父さんは家の金庫に
自分の遺影用の写真を入れておいたからと
生前言っていたよ」
と聞いていたので
実家にある家庭用の金庫・・・
こんなの↓
をダメ元で開けようとした。
なんでダメ元かっていうと
この金庫。
ダイヤルの数字を合わせないと
鍵があっても開かないんだけど
お父さん・・・遺影の写真の場所は
母に伝えたのに
ダイヤルの番号を教えていなかった・・・
やっぱり・・・というか
当たり前だけど、適当にダイヤル回しても
びくともしない(笑)
なんとか開かんかな
と悪戦苦闘してると従姉が
「美聖ちゃん
ここに叔父ちゃんの写真があるよ~~」と
本棚の空きスペースに置いてある
A4サイズの封筒に入った
1枚の写真を見つけてくれた
それは、父の役員就任パーティに出席した時に
記念にカメラマンさんが
父一人を撮ってくれた写真だった。
2人で「あったね~
写真の大きさ、ちょうど良くない~
これにしちゃおうか」と言って
封筒から出した、その写真に写る父を見て
従姉と二人で愕然として無言になってしまった・・・。
写真の父は
満面の笑みで
首元は
な・・・なんと
レインボーに輝く勾玉色の蝶ネクタイ
私と従姉は顔を見合わせ
「こ・・・これ・・・にしちゃう・・・
遺影・・・」
あまりにおめでたい感 満載な上に
その風貌から連想するのは
【怪しいマジシャン】な写真に躊躇した。
そして2人が出した答えは
「ま・・・いっか」(笑)
葬儀も何もかも終わり、
ずいぶん後になってから
カギ屋さんを呼んで金庫を開けてもらったら
中に入っていた父が遺影に使ってほしかったであろう写真は
昭和の銀幕スター気取りのポージングで
まさにこんなの↓
ちなみに父は若い頃、
【中井貴一さんのお父様の佐田啓二さん】にそっくりだった。
顔は二枚目の男前だったんです。
ど~でもいいけど・・・
それでも、顔は画像修正しまくっていて
もはや誰かわからない
全く知らない人物になってるし
四十九日の時に
従姉にその写真を見せたら
「虹色の蝶ネクタイのほうが、
叔父ちゃんらしくて良かったよ」と言ってくれたので
ちょっと、ぶっ飛んだ遺影になっちゃったけど
私と従姉のお気に入りということで
今でも実家の壁に掛けてます(笑)
・・・ということで
準備は全部整った。
そして、お通夜の日を迎えた。
本当に大きな教会の建物だったから
広くて楽チンとか思ってました。
ところが
お通夜開始の時間が近づくと
弔問客が増える・・・
増える・・・
増える~~~
お通夜だけで600人
な・・・なんだ~~
どうなってるの~~
なんと本社の人が
当時はメールとかまだ普及してない頃だったから
父の葬儀内容をFAXで
全国の子会社や関係会社に一括送信したらしい・・・。
そして、平日だったから
夜しか来られないという方も多く
受付は会社の方がしてくれていたけど
後から見させてもらったら
お香典が
1人で10何万、入れられている人が
一人、二人ではなく大勢いらっしゃった
中には、1人でお香典50万円・・・
だけど、この日
私が一番うれしかったのは
私が勤めていた会社の社長さんが
会社の全社員を引き連れて
お通夜に来てくれたことでした。
そして、みんな私の手を取って
「美聖さん、よく頑張ったね辛かったね」と泣いてくれたこと。
みんなの気持ちが本当にありがたかったです
そして、翌日は
いよいよ社葬を迎えることになるのでした。
★旦那とのガン闘病記の目次を作りました
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