こんにちは。美聖です
旦那は意識はしっかりしているけれど
もう起き上がることも長くおしゃべりすることもできなくなっていた。
息が苦しいと言うので、酸素マスクを着けさせたけど
マスクがうっとうしくてイヤだそうで
苦しい時だけするようにした。
もちろん、食事ももうできなくて
果汁100%のアイスキャンディーとか
氷だったら口にすることができるような容態になっていた。
だけど、旦那がどうしてもモルヒネはイヤって言うのは
貫いていたから、先生も旦那の意思を尊重して
モルヒネよりはきつくない麻薬を使っていてくれたおかげで
ちゃんと病室の中で起こっていることを旦那は把握していた。
私たちは、24時間
必ず身内の誰かがそばに付いていてあげるように交代で
病院に寝泊まりしていた。
・・・っていうかですね
旦那がこんなことになるまでの私たちだったら
身内の誰か・・・って絶対、私だけだったんですよ。
誰も頼れる人が他にいなかったから。
それが、なんと
私の実弟と旦那の弟さんと前妻さんと私でローテーションを組んでくれて
私は娘が小っちゃいから極力、朝~夕方に病室にいるシフトにしてくれてた。
前妻さんなんて、病室に泊まり込みの時は
娘ちゃんも一緒に寝泊まりしてくれて
(まだ小学5年生だよ~)
朝は病室から学校に行ってくれてた
お父さんと少しでも長く一緒に居たいからって娘ちゃんが前妻さんに言ったかららしい・・・
なんて、ありがたいんだろうと思った。
口先だけとか社交辞令とかじゃなくて
心底、周りの人があたたかくてありがたかった。
そして、その日も前妻さんが夜の付き添いをしてくれて
朝一番に娘を保育園に送ってから
前妻さんと交代するために病院に行こうと用意していた時
前妻さんから電話があった。
「美聖さん!今ね旦那ちゃんの実のお母さんから電話があって
もう病院の近くまで来てるんだって
私と娘ちゃんは病院に居てるけど、美聖さんなるべく早く来て~~~」とのこと。
え?ええ~~~~~
だって、実のお母さんって確か東京に住んでるって聞いたけど・・・
どういうこと
軽くパニックになりながら、慌てて用意をして病院に向かうと
病棟の面会ルームみたいな小部屋に
なんか大所帯が・・・?
前妻さんが私を見つけて駆け寄ってくれて
「美聖さん!お義母さんね、B型肝炎と心筋梗塞を患ってらっしゃるんだって
だから飛行機とか新幹線に乗るのも無理だからって
今のご主人と息子さんが付き添って東京から車で来てくれたらしいよ」と
大きい目をさらに大きくクリクリさせて言われた。
車で。って・・・ノンストップで走ったとしても7時間はかかるのに
途中で体調見ながら休み休みだったら何時間かけてこられたんだ~~
とにかく、初対面だったのでご挨拶をして
でも、長居をするのは身体がもたないからと言われて
早々に旦那の病室に行ってもらうことにした。
ご主人が「一人で行かせたって」と言われたので
お義母さんお一人で旦那の病室に入って
たぶん、50年振りに親子2人きりで短い時間だけどお話ししたみたい。
病室から出てきたお義母さんは
「やっと、息子に謝ることができた。」と喜ばれていたけど
「ここまで来られるのはさぞかし大変だったでしょう。」と私が声をかけると
「いやいや・・・。これで今、ここに来なかったら私は
同じ人生で同じ子供を2度も裏切ることになってしまっていた。
息子のこと。教えてくれて、ありがとうね」と言っていただいた。
そして、本当に身体がお辛そうだったので
ご主人と息子さんに介添えされながら帰られていった。
お義母さん、ずっとずっと子供を捨てた親という
自責の念で苦しまれてこられたんだな~・・・と
ご自身も重病を抱えながらでも会いに来られた姿を見て
同じ母親として、切なくなった。
お義母さんが帰られてから前妻さんが
「美聖さん、私も今日は仕事に行かないといけないから
これで帰るね
昨夜は旦那ちゃん、何事も無く大丈夫だったよ
夜勤の看護師さんがいつも私らが頼りにしてるTさんやったから
私も安心して居れたし。
だけどね~、なんか旦那ちゃんイライラしてた。
じゃあ あと、よろしくね~~」と言って帰られました。
私一人になって病室に入ると
旦那はとってもうれしそうに涙を流してた。
お義母さん会いに来てくれたじゃん良かったね!旦那
すると、旦那が私のほうを見てか細い声で
「美聖ちゃん、お母さんに会えた
お母さんに知らせてくれて、ありがとうね
もう、これで思い残すことは何もないわ。
起きてたらしんどいだけだから眠ってる方が楽。
こんなにしんどいのん、もうエエわ。
早くお不動様の元に行きたい。
お寺のご住職のお経で
お不動様のところに昇っていけたら最高やな」と言った。
生きたい!って気持ちより、仏の御許に行きたいって気持ちのほうが強いのに
まだ行かせてくれない。っていう
それがイライラの原因だったらしい。
母の思いってすごいなと思ったけど
後から考えたら、この日は旦那が息を引き取る3日前のことでした。